一期は夢よ、ただ狂へ。

隠れADHDのあれやこれや。

高校中退してから11年が経ちそうです。

始めまして。キョウと申します。高校中退を経験している当事者です。
 
高校中退してからもう11年も経とうとしているなあと、最近気が付きました。当時、今になってみれば全く悩まなくてもよかったことを悩んだし、家族や友人をかなり戸惑わせてしまったような気がしています。
 
振り返ってみると、私がどうしてあんなに高校を中退したかったのか、自分自身も、周りの誰も、わからなかったのでしょう。そして、中退したらどうなるのかも想像つかなかったのだと思います。
 
そこで、高校中退という言葉に何らかしらの思いがある人がどこかで一人でも、読んで何か感じてくれればいいなと思い、自分のことを書こうと思いました。
 

今の私について

キョウ 27歳。名古屋市出身。現在は東京都在住。
家族構成:既婚でパートナーと同居。子どもはいない(当分予定なし)
仕事:専門職。会社の代表(ほとんど個人事業主の集まりみたいな、規模の小さな会社です)

 

簡単な経歴

12歳 地元の市立小学校卒業

15歳 地元の市立中学校卒業

16歳 自宅からバスで40分くらいのところにある、県立高校中退

16~20 歳 フリーター(5年)、名古屋在住。

21-24  歳 上京。私立文系大学生になる。日雇いで今の仕事の経験を積む。

25-26 歳 会社員 兼 フリーランスの活動。両方、学生時代からやってた日雇いの仕事に関連あり。

27 歳 コロナ禍で、言語の壁しかない仲間と起業。

28歳(今) 今の業界でのキャリア自体は8年目、会社の事業年度は2年目になる。

 

 

(中退を考えている人へ)この記事や周りの意見を真に受けすぎないで

自分のことを書きますと書いてしまいましたが、決して参考にしてほしいとは思っていません。高校中退しても何とかなるから大丈夫とも、とても言えないし。
 
それぞれ目指すもの、性格、家庭環境、健康状態とかあるので、高校中退しても大丈夫な人、したほうがいい人、しないほうがいい人、色々いると思います。周りに相談したりネットやSNSを見るのもいいですが、あまり自分以外の意見に影響されすぎず、本人が自分でよく考えて自分で決めるということが大事です。
 
極端な話、医者を目指している人が私立のエリート高校を辞めて医学部を目指すとなったら、モチベーションをキープしたり、そこまでのエリート人生からの転落感というか、周りとの違いに焦りは生まれると思います。
 
その焦りに打ち勝つ精神力があるかどうか?また、親からのプレッシャーや過度な心配をはねのけ、自分を信じることができるか?という問題だと思います。親を説得できるかどうかも課題だし、そもそも医学部に入って本当に医者になりたいのか?ということ自体にも向き合わねばなりません。
 
突然目標をなくすのは、目標に向かうよりももっと大変なことです。
 
また別のことでいうと、とりあえず目標はないから高校辞めたら飲食店で働き始めたり(私もそうでした)、イベント会社や工事現場関係で働き始める人が多いと思います。
 
そういう、働かなくなったら即収入がなくなり、家賃を払わなければ家もなくなる、というような非正規雇用の生活を何十年も続けたり(実家や親もいつまでも頼れるわけでもない)、恋人や家族、友人などの同居人と別れてもひとりで暮らしていけるのかなど、ライフステージや体力の変化に合わせて必要なステップアップを自らできるか、後悔しない覚悟ができているかということだと思います。
 
そこを楽観的に考えている人は、今後自分が社会の理不尽を恨まずに強く生きられるかどうか、よく考えたほうがいいと思います。
 
でも、これは正直高校中退者だけでなく、よっぽどいい学校出身者か特技でもない限り、大卒でも同じような課題はあると思います。高校を中退し、その後の人生を歩むのは本人であり、友人や家族、ましてや周りの大人や教師ではありません。誰も本当の意味で、責任なんて取ってくれません。自分で納得して、よく考えてほしいです。
 

どうしてやめたかったのか

では本題です。
 
どうしても高校をやめたいという衝動や欲求を、私は早い段階から強く抱いていました。
 
次の教育機関に送り出すためだけの学校教育システムや、同世代・同じような学力(=つまりほとんど同じような社会階層の家庭出身と同義)ばかりの画一的な価値観の中に、このまま毎日何時間もいることが耐えられなかったんです。
 
一年通ってみて、下記のようなことが自分にとってやめる理由になりました。周りにも、長い間、下記のように説明していました。
 
  • 学園祭、体育祭、部活・・そういう学生生活のサイクルに心底飽きた
  • 定期試験や進学のための勉強が無意味に思えてしまった
  • 自分が高校に通っている意味が見いだせなかった
 
でも、それだけだったらどんなに良かったことか。ずっと、そういう理由で高校を辞めたと自分でも思っていました。
 
でも、10年たってみてよく考えると、そんなことは些細な理由なのです。どれも、高校を辞める決定的な理由ではありませんでした。この3つの「やめたい理由」よりも、友人と会える楽しみのほうが絶対に勝っていたと思います。なのに、私は高校を辞める直前、精神的にボロボロでした。
 
真の自分の悩みと高校中退の理由は、まさしく教師や学校の望む生徒像=いわゆる「世間から求められる人間像」にはまることができない自分だったのだと思います。
 
今では、その人間像こそがかなりお粗末なものだったとわかりますが・・・16歳の普通の地方の高校生、ましてやインターネットも今ほど進んでおらずスマホを持っている人がパラパラ出始めたころ)、教師や親くらいしか相談できる大人もいなかったので、全然気が付かなかったのです。
 

高校を辞めて、みんなのようにできない自分を肯定できた

私は一言でいうと落ちこぼれでした。小学校も中学校も高校も、学校向いてなかったです。
 
どういう風に向いていなかったか。たんに「みんなみたいにできなかった」ので、何やっても悪目立ちし、教師からとにかく不真面目だと思われて目をつけられてしまう傾向にありました。
 
小中のあいだはまだいいけど、高校にもなると周りにも社会性が身につき、大人びてくるので、同級生の間ですら悪目立ちするように。「なんで波風たてるんや」という冷ややかな空気を浴びることもしばしば…。
 
もちろん、多くはありませんがいつも理解してくれる友達や教師もいました。それに救われながらも、どこか居心地の悪さや疎外感、「なんでみんなみたいに、普通にできないんだろう?」という焦りは常にありました。
 

小学生のときの自分振り返り

  • 小1の時から、習字の時間は習字道具を持って来れなくていつも黒板の前に立たされていた。
  • 誰ととなりの席になっても、授業中のお喋りとまらない。問題を解く時間とかに、早めに問題を時終わってほかの子を待つ間に、他の早めに終わったであろう子にちょっかいを出し、定規でチャンバラしたり、席から立ってしまう。
  • 友達と放課後遊ぶ約束をしてたのに、家に帰った瞬間他ごとに気を取られ忘れ、すっぽかしてしまう。
  • 連絡帳を見れないしプリントを持って帰れない。
  • 小4のときの担任からは忘れ物の数をカウントされており、79回連続で体育館シューズを忘れたとして『忘れ物キング』と名付けられる。
  • 7たす8や、6たす7など繰り上がりの計算が極端に苦手(今も指で計算しないとできないし時間かかる。同じような人の為に言っておくと、そんな奴でも電卓や表計算ソフトでちゃんと仕事の原価計算ちゃんとできてるので安心してほしいです)
  • 上級生と口げんかになり、感情のまま掴みかかるなどカッとなったら抑えられない。
  • 夏休みの宿題『なつのせいかつ』を11月まで提出できず毎朝朝の会でそれを言われ持ってこられない言い訳(バレバレ)する日々を送っていた。
  • わざとじゃないが、門限をほぼ毎日破ってしまう。
  • 自分のことを優等生だと思っていた。

中学生の時の自分振り返り

  • 理科の教科書を一学期丸々忘れ、やる気がないと勘違いされめちゃめちゃ怒られる。(ちなみに理科は1番好き&得意な科目だった)
  • ノートを複数にすると必ず忘れるので1つのノートに全部の教科のノートをとっていたが、ノート提出の際にほぼ全ての先生からめちゃめちゃ文句を言われてしまう。
  • 世界史95点、英語85点、国語98点、理科87点、数学35点。
  • 授業時間が伸び、授業中の姿勢が保てずいつも肘をついたりうつ伏せたりして怒られてしまう。
  • 友達と喧嘩した時に教室の椅子を投げ飛ばしてしまうなど、カッとなったら抑えられない。
  • 本や漫画などを読み出すとずっと読んでいるので、寝食を忘れてしまう。
  • 夜中歩いたりすることへの抵抗が薄く深夜徘徊してしまう。
  • 机の中はぐちゃぐちゃのプリントだらけ。
  • ロッカーが汚さすぎて学期末は車で親に引取りにきてもらうのが恒例。
  • 自分の部屋とリビング(母親がいつもいる部屋)を結ぶ廊下は「もの忘れの廊下」と呼ばれていた。母親に後で〇〇もってきて、など何かお願いされたり、何時にリビングにきてと言われてもすべて廊下を渡るだけで忘れてしまうため。
  • 部屋が汚さすぎて、学校帰りに幼なじみに片付けてもらう。
  • 怒られると全く思わずピアスをあけてしまう。
  • 歩いていたら電柱にぶつかる。
  • しょっちゅう人との約束をすっぽかす。
 

高校の時の自分振り返り

地元の県立高校でした。友達は普通にいたけど、高1の10月から行かなくなり、1月には自主退学を決定(2月からはもう働いてた)。学校の雰囲気や校風に馴染めなかったし、学校の指導のあり方は我慢ならなかった。3月に正式退学。担任の数学の先生や古典、英語、社会の先生など味方といえる大人がいなかったら教師嫌いになってたかも。
 
  • 数学5点、現国95点
  • 体育の時間にやれと言われたことがどうしてもやりたくないのでやらない(頑固)
  • 大学に行く意味がわからないので行きたくなかった
  • 会社員になる自分が想像できなかった
  • 定期テストを受ける意味がわからないので定期テストのための授業は時間の無駄だと思っていた
  • 登校しようとバスに乗って違うところに行ってしまう
  • 学生指導の先生ともめる
  • 体育教師ととにかくもめる
  • 校長先生によけいなことをするなといわれる
  • 教師からろくな大人になれないと言われる
  • 夏休みの宿題を出せない
  • 数学の問題集「チャート」は答えをうつせば絶対に提出できたのだが、答えをうつしても意味が無いと考えると膨大なページをやらなくてはならず、嫌になってやらなかった。
こんな感じでした。私の学生時代について今さらっと読んで、「甘えている」とか、「問題行動」とか、思う人がいると思います。こんだけムラッ気があると、まともに社会人できなさそう、と思う人も多いと思います。そうなんです、私もそう思っていました。だから、教師や学校の望む生徒像=「世間から求められる人間像」にはまることができない自分について、本気で失望し、精神的に擦り切れてしまいました。
 

高校辞めてみてわかったこと

でも、高校やめて働き始めたらすぐに、「普通 」とか、「常識」って、親とか学校の先生が想像してるよりも色々多様なんだって気がつきました。誰かのいう「普通」「常識」は、誰かにとっての「非常識」であることもあります。時代や国が違えば「優れている人」の定義も違います。
 
無理したり、背伸びすることも人生において大切なこともありますが、そういう勝負に出るタイミングは自分で決めていいです。わざわざ学校でそういうエネルギーを消耗する必要はないのではないでしょうか。

世の中には色々な学校があると思いますが、私の通ってた学校はまさしく会社員の製造工場でした。ほとんど同じ倫理感情や価値観を持つ人間をたくさん作り出すには、学校はもってこいです。もちろん学校には色々な機能があるし、私自身色々な友達もでき、共通の思い出や日本の同世代と共通の体験もできたし、楽しかったし、給食はおいしかったし、悪い思い出ばかりでもないのも本当です。

でも、学校で培われる「当たり前の共通認識」は、1歩外に踏み出せば、必ずしも当たり前ではないと声を大きくして言いたいです。今思っている「当たり前」が当たり前では無い社会は、いくらでもあります。もし「当たり前ができない」と悩んでいる人がいたら、「当たり前」「普通」「常識」とか、周りの人たちがもっともらしく言う、そういう言葉を鵜呑みにして悩まないでほしいです。
 
10年たってみて、本当に興味がある、熱狂できることにはいくらでも集中でき、瞬発力もあるという自分の長所を自覚しました。
 
その自覚が生まれたからこそ大学での勉強もとことんできたし、現在の仕事も将来を見据えて頑張れていると思います。ケアレスミスや提出物遅れ、タスク管理にはほかの人以上に気を付けなければなりませんが、自覚があるのでだいぶましになりました。
 
自分の職業(専門職です)は基本的に分業制なので、ほとんどの仕事は自分一人では完結しないことが多く、自分でどうにもならないのであれば他の人に確認やリマインドしてもらったり、やってもらえばいいだけのはなしだな~と思います。
 

教育現場にいる大人たちの視野の狭さについて

私の通っていた高校では「できるだけ良い大学に行き」「いい会社に就職するか、公務員になる」ような将来しか、教師も同級生も基本的に想像していないようでした。
 
現在の私のような業界・業種の人間なんて彼らの考える「社会人」の中にいないし、彼らの言う「社会」や「常識」なんてものは極めて狭い世界のことだけをさしていたのだと今ではわかります。
 
中退は落ちこぼれと決めつけ、学歴が低いと見下し、人生の中に空白のある人間にこの空白をなぜ説明できないのだ?としつこく詰め寄ってくるような人たちも、世の中には確かに存在します。
 
でも、世の中の会社員の平均年収は400万円台だし、女性に限定すると280万円と言われています。それどころか、日本の世の中の雇用者の4割は非正規雇用といわれており、家事・育児・親族の介護は無休にも拘わらず労働ともみなされていません。終身雇用も必ずしも約束されている世の中ではありません。いつほかの国の企業に買収され、いつリストラされても文句は言えないような景気の悪さがあると思います。
 
実際の人生は、会社に就職したら終わりなのではありません。その後どうやって昇進していくのか、仕事を勝ち取っていくのか、結婚したり誰かと一緒に暮らすのか、一人で生きていくのか、子供を育てるのかなどに悩み、引っ越し、家族との離別、死別、心身の病、事故、経済状況や政界情勢、戦争や紛争などのあらゆる出来事で、人生なんていくらでも揺らぎます。
 
その中で、一部の人たちのモデルケースだけを見て、「普通の暮らし、普通の幸せな人生」と考えてしまうのはちょっと簡単すぎるかなと思います。私たちの人生はプログラムではないのですから・・・。
 

学歴は大事か?という問い

よくある議論「学歴」は、大事か、大事ではないか。ということですが、私は学歴が必要ない仕事に結局ついているので、職業を手に入れるのには(もちろん、無いよりは有るほうが良いが)必ずしも必要ではないと考えます。人柄がよいか、あきらめないか。ということのほうが学歴よりももっと大切だとおもいます。
 
でも学歴でなく、大学で「学問」をするということ(「文献」を読んだり分析し、「自分の考えや解釈をまとめる、説明する」「論文を書く」という経験)は、自分にとってかなり重要でした。
 
  • 実務的には今もお客さんへの資料を作ったり、事業計画書をつくったり、政府への申請をしたり、世の中がどういう状況なのかという情報収集をしたい・・・というときに、小難しい文章やグラフを読んだり書いたりした経験が役に立っていると思います。
  • 教養としては、社会学に出会い、新たなものの見方を手に入れたこと。自分が何に心惹かれるのか、わかってきたこと。
  • 経験としては、大学生を体験したこと、同年代ばかりの環境に再び入ったこと、レポートに追われたり自分の考えがどこから来ていてどうまとまるのかという訓練をしたこと。
 
というのがありました。大学では友達はまったくできませんでしたが、同じ志の仲間はできました。そして、次第になれ合うだけの友達は必要じゃなくなってきました。これは人それぞれの価値観があると思いますが、私にとってはかなりいいことでした。多くの悩みが減り、つねに自然体で振舞うことができるようになったからです。結果、仕事もしやすくなりました。
 

高校中退の影響

自分は高校中退の時には、世間知らずだったし将来のことなんて何も考えずに選択しました。


なんとなく、5年間フリーター(飲食やテレアポ生活して、途中で一人暮らしも始めて、21歳で上京し、大学に入りました。


ぶっちゃけ大学さえ出ちゃえば、高校中退(=中卒)とか人生にあまり関係ありませんでした。


就職や転職への影響って、業界や会社の規模によってはあるんじゃないかとは思いますが、私は専門職かつ、一般的な就職活動や転職活動はほとんど経験していないので、私にとって影響は無きに等しいです。


自分が高校中退していることを強く意識していたのは16から18まで、同級生が高校生の時だけで、時期に学校や年齢の関係ない年上の友人たちができてくると全く意識しなくなりました。


大学に入ろうと思ったのは、周りに大学生のバイト先の友達が増えて、興味がわいたのがきっかけで、特にキャリアパスに絶望したとかそういう感じでもありません。


あのタイミングで上京もせず大学にも行っていなかったらどうなっていたかを考えると、おそらく今の業界業種には絶対についていません。ただ、どちらにせよ会社は興しているような気もします。


そして、時間はかかっているかもしれないけど専門学校や大学にもどこかのタイミングで行くのではないかとも思います。あのまま飲食店の経営や、店舗の企画側に興味をもっていたのではないかと思うからです。

 

さいごに

高校をやめること自体は正直あまり問題ではなく、やめた後、その選択を人生の正解にできるか?が問題なのだと思います。

 

この記事を読んで、誰かの心が軽くなれば、また、高校中退に関心を持ち、考えるきっかけになればいいなあと思います。

 

長くなってしまいましたが、一回目の投稿なので・・・

 

では、また。